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このサイトは、タレント・大家志津香さんとその周りの人達を 勝手に応援するサイトです。

まちゃりん/馬嘉伶(from 台湾)勝手に応援ページ~ 台湾からの勇者 ~

馬嘉伶 勝手に応援ページ



馬嘉伶さんは
AKB48 Team4 正規メンバーです


この特設ページは
台湾からの挑戦者 “まちゃりん” こと 馬嘉伶さんを
勝手に応援するためのページです


大家志津香さんの
『まちゃりんが日本に来て良かったと思えるようにしてあげるのが目標』
という発言を受け、勢いで制作しました!



※ このページは、ファンサイト【 大家志津香 勝手に応援サイト 】の中に作成されています ※




馬 嘉伶 - マ・チャリン -


馬嘉伶 プロフィール写真

台湾からの勇者!
お菓子づくり大好き!!
チーム4の馬嘉伶(マ・チャリン)さんです



主な活動:   AKB48 チーム4(専属)

ニックネーム: まちゃりん/抹茶
生年月日:   1996年12月21日
出身地:    台湾。高雄生まれの台中育ち

身長:     158cm
趣味:     お菓子・パンづくり
特技:     3秒で17回の高速まばたき、大根の桂剥き
資格:     台湾国家調理師検定「中餐烹調丙級技術士」
        (中華料理検定 丙級)
        色彩検定(2級・3級)
将来の夢:   日本で女優になること

ファンの呼称: あずき/小豆




▼ SNS・Mailサービス など

  • 馬嘉伶 Twitter

    公式の個人SNSアカウント。2017年08日06日登録。2017年08日21日運用開始。
  • 馬嘉伶 SHOWROOM

    SHOWROOM(ショールーム)は、iOS・Android端末・PCからライブ配信および視聴を行えるストリーミングサービス。本人が不定期で配信する個人アカウント。
  • TPE48 Official Facebook

    台湾の48グループ「TPE48」の公式SNS。台湾の所属メンバー全員が書き込んでおり、馬嘉伶さんの投稿も含まれます。なお、投稿には日本語訳も併記されています。(現在アカウントはありません)
  • AKB48 Mailサービス インフォメーション

    AKB48メンバーからのプライベートメールが携帯電話に届く、有料のメール配信サービス。 登録手続きを行えば、馬嘉伶さんからのメール配信を受けられます。

ファンレター・プレゼントについて
( 詳しくは、AKB48公式ウェブサイトで )
   ↓
http://www.akb48.co.jp/letter/

〒101-0021
東京都千代田区外神田4-3-3
ドンキホーテ秋葉原8階
「AKB48 ファンレター係 馬嘉伶(マ・チャリン)さま」宛て

◇ 備考 ◇
馬嘉伶さんのSHOWROOM配信の中で公式LINEについての発言がありますが、当サイトではリンクを設けていません。これは日本語版オープンメディア等による公式インフォメーションが常設されていないことなどを考慮してのことです。ご了承ください。




▼ 略歴 ▼

2015年08月06日
「AKB48メンバー台湾オーディション」に合格。これは、既に設立が発表されている「TPE48」メンバーの募集オーディションではなく、あくまで日本で活動するメンバーを選考するためのもの。この選考では、17名が合格となった。
2015年12月15日
「第5回 AKB48紅白対抗歌合戦」で、前座として出演し、お披露目される。翌年02月に東京に移住することが発表されたが、馬嘉伶さん以外のオーディション合格者(9名)は「AKB48台湾研究生」として、引き続き台湾に残ることに。
2016年02月21日
千葉・幕張メッセで行われた「唇にBe My Baby」劇場盤発売記念大握手会+フォトセッション&囲み取材大会で、正規メンバーへの昇格とチームBに所属することが発表され、台湾より来日。オーディション通過者17名から、ただ独りでの来日となった。
2016年03月04日
チームB 7th Stage「ただいま恋愛中」にて、前座ガールズとして出演。「ロマンスかくれんぼ」をソロで披露し、劇場デビュー。
2016年04月17日
チームB 7th Stage「ただいま恋愛中」にて、初めての劇場公演フル出演。ユニットは「7時12分の初恋」を担当。
2017年02月20日
来日から丸1年。自身のSHOWROOM配信にて複雑な心情を吐露。馬嘉伶さんを含む「AKB48メンバー台湾オーディション」合格者の実情などについても触れられており、ファンのみならず一部メンバーからも反響を呼んだ。 ( 詳しくは 下記の概要 をご参照 )
2017年03月31日
台湾在住の頃から観ていたミュージックステーションに AKB48メンバーとして出演。小嶋陽菜さんが AKB48として最後のMステ出演。ミュージックステーションでは出演者に記念品として「Mステティッシュ」が配られるのだが、『今回は自分の力で選抜に入ったわけではないから』という理由で持ち帰らなかった。
2017年08年06日
Twitter 個人アカウント開設。2017年08日06日登録。2017年08日21日運用開始。
2018年01月01日
来日2年目の振り返り。自筆の手紙で想いを綴った。( 詳しくは 下記の概要 をご参照 )
2018年01月20日
TOKYO DOME CITY HALLで開催された AKB48グループ「リクエストアワー セットリストベスト100 2018」にて、51stシングルの選抜メンバーが発表され、馬嘉伶さんは初の選抜入りを果たした。この日の夜も SHOWROOM を配信、涙ながらに感謝とAKB48への熱い想いを語った。51stシングルは2018年03月14日に発売される。
2018年01月22日
人生で初めて積雪を見る。
2018年02月21日
来日から丸2年。心情を自筆の手紙で公開。 ( 詳しくは 下記の概要 をご参照 )
2018年03月14日
初の選抜入りとなる 51stシングル「ジャーバージャ」発売。 なお、今作の劇場盤には「まちゃりんと仲間たち。」というユニット名義の「友達ができた」という楽曲が収録される。このユニットには、馬嘉伶、久保怜音、千葉恵里、西川怜、樋渡結依、山邊歩夢の国内メンバーに加え、「AKB48台湾研究生/TPE48一期生」の みやび/陳詩雅ひめ/陳詩媛ぴんはん/邱品涵りんじぇ/林倢しんゆぅー(くに)/國興瑀なつみ/張羽翎 が参加している。(敬称略)
2018年03月23日
ミュージックステーション(2時間スペシャル)に AKB48メンバーとして出演。台湾在住の頃から観ていた「Mステ」の「伝説のティッシュ」を遂に手にする。1年前に出演した際は『今回は自分の力で選抜に入ったわけではないから』という理由で持ち帰らなかったが、今回は初の選抜入りを果たしての出演となったので、心置きなく頂くこととなった。自身のTwitterでは、Mステティッシュゲットの喜びあふれる投稿が成された。
2018年04月20日
instagram 個人アカウント開設。
2018年04月26日
AKB48公式サイトのプロフィールから「台湾留学生」の文言を削除してもらう。(自身のTwitterアカウントで報告)
2018年06月16日
「AKB48 53rdシングル世界選抜総選挙」開票。会場は「愛知県名古屋市:ナゴヤドーム」。結果は 97位となり、「第10回世界選抜総選挙記念枠」入りを果たす。加入以来初の圏内入り。獲得票数は、15,107票。 2018年09月19日に発売される AKB48 53rdシングルのカップリング曲に参加することとなる。
2018年06月22日
「AKB48 53rdシングル世界選抜総選挙」開票の結果を受け、感謝の手紙を直筆で公開。(自身のTwitterアカウントで公開)
2018年09月19日
AKB48の53rd「センチメンタルトレイン」発売。「AKB48 53rdシングル選抜総選挙」で 97位となったため、「第10回世界選抜総選挙記念枠」名義でカップリング曲に参加。初の圏内入り。参加したカップリングの曲名は「波が伝えるもの」で、Type Dに収録。「第10回世界選抜総選挙記念枠」メンバーは、植木南央・本田仁美・豊永阿紀・運上弘菜・下野由貴・加藤夕夏・坂本愛玲菜・大森美優・谷 真理佳・村瀬紗英・山田野絵・山内瑞葵・水野愛理・篠崎彩奈・山田菜々美・栗原紗英・馬 嘉伶・上西 怜・石田千穂・大家志津香の20名。 (敬称略)
2018年12月15日
「第5回 AKB48紅白対抗歌合戦」で、前座として出演し、お披露目されてからちょうど3年。Twiterで自筆の手紙を掲載。現在の心情を吐露し、反響を呼んだ。 ( 詳しくは 下記の概要 をご参照 )
2018年12月21日
年末特番「ミュージックステーション ウルトラ SUPER LIVE 2018」に、AKB48の一員として出演。自身の誕生日に思い入れの強い「Mステ」出演で歓喜。Mステ出演は、この日で3回目。年齢は、17+5歳。
2019年01月04日
04日・05日の2日間にわたり、来日3年目の振り返り。自筆の手紙8枚で想いを綴った。( 詳しくは 下記の概要 をご参照 )
2019年05月27日
AKB48加入以来3年3ヶ月にして、初めて実家に帰省(里帰り)。(自身のTwitterアカウントで報告) 2019年05月31日の投稿によると、感動の再会を果たすも3日半後には『早く日本に帰れぇぇえ』と言われたとのこと。自称「面倒くさい人」の感動の有効期間は、たったの3日半であった。
2019年12月27日
年末特番「ミュージックステーション ウルトラ SUPER LIVE 2019」に、AKB48の一員として出演。
2020年01月01日
来日後2回目の里帰りを報告。(自身のTwitterアカウントにて)
2020年01月09日
自身の生誕祭で、色彩検定(2級・3級)合格を報告。12日には、自身のTwitterアカウントでも報告。
2020年08月26日
「家事ヤロウ!!! 簡単激ウマ!レンジに入れるだけ飯&ワケあり料理上手アイドルGP」(テレビ朝日)に出演。ワケあって料理上手になったアイドルを集めたグランプリに、希帆、戸田れいとともに出場。本場台湾仕込みの「ルーロー飯」と「大根と人参のサラダ」を披露。練習しまくって身につけた「大根の桂剥き」も初披露した。

⇒ AKB48台湾研究生 勝手に応援ページ


馬嘉伶の迷言より - 馬嘉伶 勝手に応援ページ





愛称「抹茶」と、ファンの呼称「あずき/小豆」


彼女の名前は「馬嘉伶(マ・チャリン)」。
ヨコ文字で書いたら「Ma Chia-Ling」。
カタカナで書いたら「マ・チャリン」。
ひらがなで書いたら「ま・ちゃりん」。


… ということで、
公式のニックネームは「まちゃりん」です。

ニックネームというか本名まんまです。

この「まちゃりん」以外にも「抹茶」というニックネームも使われています。
音の響きから「抹茶」という愛称が使われ始めたようです。

その関連で、ファンの呼称は「あずき/小豆」。
由来は、「抹茶にあずきは合うよね」という理由のようです。

大家志津香さんのファンを「 大家族(おおやぞく)」と言うように、各界隈でファンの呼称があるのですね。


馬嘉伶のあずきになってください!




▼ エピソードなど ▼




2017年02月24日、大家志津香さん SHOWROOM配信の概要


2018年02月10日、馬嘉伶さんから大家志津香さんへの手紙

【 関連資料 】
2018年02月10日、北原里英さんから大家志津香さんへの手紙


2018年02月14日、大家志津香さんから馬嘉伶さんへの手紙













 
来日1年目(2016年)振り返り - 2016年12月31日


【AKB48 台湾留学生 馬嘉伶(まちゃりん)】

今日は2016年最後の1日です。今年初体験したことが沢山あって、一緒に振り返ってみませんか?(笑)

【2月】
日本、このずっと憧れていた国に来ました。

【3月】
初コンサート出演。初めてそんなに多い人の前に立った、想像できない画面を見ました。

【4月】
初めてAKB48チームB劇場公演「ただいま恋愛中」に出ました。先輩たちと一緒に、同じ衣装を着てパフォーマンスを披露して、すごく感動しました。

【5月】
初めて握手会に参加できました、応援くださった方に会えることは私が一番嬉しいことです。

【6月】
初めて総選挙に参加しました、圏内に入れないですけど、投票くださった方に本当に感謝しています。

【7月】
日本に来てから、初めて台湾に戻って、ファンミーティングに参加しました、故郷の応援はとても暖かいですよ。

【8月】
「ただいま恋愛中」の公演以外初めてほかの劇場公演「僕の太陽公演」に出演できました。

【9月】
AKB48SHOWに出ました、初めて日本のテレビに出演できました。

【10月】
じゃんけん大会に参加しました、一回戦で負けたけど(笑)すごく面白い経験だと思います。

【11月】
人生初めて雪を見ました!寒くて我慢できないですけど(笑)嬉しいでした。

【12月】
デビュー1周年!そして20歳になって、生誕祭がありました、皆さんの暖かい気持ち全部もらいましたよ!

この一年間本当に色々ありましたね( ´∀` )
私の大事な思い出に皆さんがいて、ずっと支えてくれて、ありがとうございます。m(__)m
2017年も、よろしくお願いします!('◇')ゞ








 
2017年02月20日、SHOWROOM配信の概要


来日から丸1年。自身のSHOWROOM配信にて複雑な心情を吐露しました。この配信では、馬嘉伶さんを含む「台湾オーディション」合格者の実情などについても触れられており、ファンのみならず一部メンバーからも反響を呼びました。以下は、その内容の概要です。

※ 以下の( )内は、管理人による補足です。




――― 視聴者から「1周年おめでとう」と言われるも、複雑な表情 …




実はあまり嬉しくはないです。
この1年やりたいことをやれなかった。

もっと成長できると思っていたけど、出来ないことがいっぱいあった。
歌も下手。日本語もペラペラじゃない。
たくさんのことをやりたいのだけど、1年は早いです。




――― ここから涙 …




生配信で泣きたくないです。恥ずかしいです。

この1年間、たくさんの応援をもらって幸せでした。

でも
1年間、日本に住んで寂しいです。




今日は(コンサートの)リハーサルをしました。
そこで、16期生のリハーサルを見ました。
同期の仲間で一緒に頑張っていました。
それがとてもうらやましかった。(ここから号泣)

(AKBの)みんなには 同期がいる。
自分には 同期がいない。
(同期のみんなは台湾に居るから)




1年間ずっと独りだった。
でも、「 あずき(ファンの呼称)」は、ずっと私を支えてくれた。
それは 知ってますよ。
だから 独りじゃないです。





みなさん知らない人が多いと思いますが、
実は私にも同期がいます。

台湾のオーディションを受けた仲間です。
(TPE48のオーディションではなく、日本に来るためのオーディション)

はじめは 合格者(研究生候補)が 17人いたのですが、その後 9人が研究生として活動してきました。
研究生と言っても芸能活動の仕事があるわけではありません。
その 9人も、今では 6人になってしまいました。

(厳しい状況ですが)
会社のせいじゃないです。
誰のせいでもないです。
辞めていったメンバーは、他のこともいろいろ考えて、自ら離れていったのですから。
(でも悲しいです)




台湾に残ってる 6人は、希望を抱いて残っています。
今は活動もなく、SNSに写真を載せるだけだけど、
彼女たちに注目してあげてほしいです。

この1年間、
(オーディションに合格してからずっと)
彼女たちは不安だったと思います。

(そうした一方で)
自分は出来ないこと(クリアすべき課題)が、沢山ある。




自分が責任を持って(頑張らないといけない)
自分が成功しなかったら、彼女たちは …
(この先の道が閉ざされてしまう)
(だから彼女たちのためにも、自分が頑張らなくてはいけない)

(台湾で頑張っている)
彼女たちのことを応援してください。





(こうした事情があるので)

オーディションで選ばれて1年。
デビューして1年。
日本に来て1年。

(いろいろあった1年だったけども)
だから自分は嬉しくないのです。
(嬉しい気分になれないのです)




一緒に祝う人が居ないのです。
(一緒に経験を共有して、互いに祝いあえる人が居ないのです)





(泣いてしまって)ごめんなさい。
泣きたくはないのだけれど …




誰のせいでもなく、運命なので、
(配信を観ている皆さんは)
責任を感じないでください。

(ただ)台湾で頑張っている彼女たちのことを
伝えたかった(だけな)のです。





台湾のみんなは、公式Facebook公式LINE を やっています。
ぜひ検索して応援してあげてください。










――― ここからは管理人による補足です。




来日して日本語を勉強し始めて1年 ……

日本人から見ると「漢字」という共通点がある「中国語」は、一見習得しやすいように見えるかもしれませんし、逆もまた同様に見えるかもしれません。しかし、それは本当に大きな大きな誤解です。馬嘉伶さんの故郷「台湾」の公用語は「 中国語(北京語)」ですが、文法上の構成は日本語とは大きく異なります。基本語順はSVO型なので、極めてざっくり言いますと、どちらかというと英語に近いものです。漢文の授業を思い起こせば、少しは実体験的にイメージできるでしょうか。もちろん難点(言語習得過程での、日本語との違いという意味での難点)はそれだけではなく、漢字や単語や読み方についても似て非なるものが山ほど沢山ありますし、大学生が第二外国語で中国語を選択して挫折してしまいがちなのも、そういう背景があるからです。

そうしたことを踏まえますと、まだ若い彼女が異国の地に独りで渡ってきて、しかも今後どうなっていくか分からぬ仕事に挑みつつ日本語を勉強していくのは、本当に大変な苦労だったはずです。その過酷さは、地方から上京する大学生などとは比べ物になりません。ましてや実家通いのメンバーから見れば、理解以前に想像すら出来かねることでしょう。

そこで、想像力を駆使して今回の配信を振り返ってみると、彼女がどれほど多くの努力を積み重ねてきたのかが浮き彫りになります。文法にしろ、ボキャブラリーにしろ、場合によっては日常会話の粋を超えた実力も垣間見えるほどです。

ただ、彼女の場合むしろ特筆すべきは、「言葉に真摯に向き合おうとする、その実直さと素直さと執念」です。おそらく元々の性格として、他人に物事を伝えようとする意欲が旺盛で、かつ、コミュニケーション感覚が鋭敏な人なのでしょう。引っ込み思案なところもあるかもしれませんが、引きこもりたい人ではないのでしょう。上記の概要記述では管理人が注釈を入れながらの記述となっていますが、こうした注記を入れることができたのも、彼女自身が「必死に自分の意志を伝えるための言葉を探し、粘り強く絞り出すように言葉を紡いでくれたから」なのです。この点において、馬嘉伶さんという人物は、ある意味日本人以上に日本語に真剣に向き合っているし、少なくとも普段 日本語をぞんざいに扱っている多くの日本人に比べれば、はるかに日本語上級者に思えるのです。「自分でキチンと言わないくせに、本当の自分を分かってほしい症候群」に陥りがちな日本人の一人としては、異国からやってきた少女に大事な教えを頂いた気さえします。

こうした点も踏まえたうえで、再度、上記の概要記述に目を通していただきたいです。
「馬嘉伶」という人物のほんの一端だけを切り取ったものではありますが、あまりにも公表されている情報が少ない彼女にとっては、貴重な情報なのではないかと思います。

そして、願わくば、一人でも多くの方々に彼女の想いが伝わりますように ……


※ ご注意 ※
中国語と一口に言っても実に様々な言語がありますので、上記の記述はあくまでざっくりとした例示としてご理解・ご了承ください。


※ ご参考 ※
このSHOWROOM配信の後、たまたま配信を観たという大家志津香さんが、自身の配信の中で馬嘉伶さんに触れました。その時の様子はコチラで ⇒ 2017年02月24日、大家志津香さん SHOWROOM配信の概要


◇ 備考 ◇
馬嘉伶さんのSHOWROOM配信の中で公式LINEについての発言がありますが、当サイトではリンクを設けていません。これは日本語版オープンメディア等による公式インフォメーションが常設されていないことなどを考慮してのことです。ご了承ください。








 
来日2年目(2017年)振り返り - 2018年01月01日


本人 Twitter 投稿より



2017年のこと、
色々振り返りました
内容は結構長いけど、読んでくださったら嬉しいです
2018年の目標、叶えますように、、、
いいえ…きっとやります……
去年の振り返りは4ページだったけど
2018年は10ページ以上書けるように
頑張ります





















 
馬嘉伶さんが大家志津香さんに送ったお手紙全文
( 大家志津香 26歳の生誕祭 ) - 2018年02月10日


しーさんへ


しーさんと仲良くなったのはちょうど1年前です。一番寂しかった時や悔しい時、声をかけてくださって、ハグしてくださって、あの温かさをまだ覚えています。

SHOWROOM配信で『目標は馬嘉伶が日本に来て良かったと思ってもらえるようにすること』と言ってくれてから、この1年間、私は本当に日本に来て良かった、しーさんと仲良くなって良かったと心から思ってます。

『チョロい』という言葉に始まり(客席 笑)あれから色んな面白い日本語を勉強して、番組に出演させていただきましたが、もし最初にしーさんから『チョロい』を教えてもらっていなかったら、たぶんまだ、ただの日本語が下手っぴなメンバーだったかもしれません。

しーさんは私を変えてくれました。

先月の選抜発表で私が選ばれた時、しーさんが凄く喜んでくれて、目がうるうるしたと聞いて、私の涙がちょちょぎれました。(客席 笑)


いつも優しく支えてくれて本当にありがとうございます。
これからもAKBで頑張りましょう。
26歳、お誕生日おめでとうございます。


AKB48 しーさんが大好きな馬嘉伶より


※ 2018年02月10日 AKB48劇場 チームA「M.T.に捧ぐ」公演にて
※ 馬嘉伶さんは大家志津香さんを「しーさん」と呼んでいます








 
【 関連資料 】
北原里英さんが大家志津香さんに送ったお手紙全文
( 大家志津香 26歳の生誕祭 ) - 2018年02月10日


しーちゃんへ


2年連続 私でごめんなさい。

僭越ながら筆を取らせてもらいました、北原里英です。

でも誰かに手紙を書くというのは今後なかなか無いと思いますし、昨年は家族になりすましての手紙だったので、今年はストレートタイプで手紙を書かせていただきたいと思います。

改めて、去年の生誕祭はまさか参加させてもらえるとは思いませんでした。粋な計らいをしてくださった小嶋さんに感謝しています。

凄く素敵な生誕祭で、生誕祭自体も思い出に残っているのですが、何より、その後に大家家族と私でご飯に行ったのが凄く楽しくて、心に残っています。

最後、大家のお兄ちゃんが家まで送ってくれたのですが、大家兄・夫婦と私という謎すぎる空間での車の旅は新鮮で、とても楽しかったですし、しきりに『りえこは娘やけんね』と言ってくれる大家父の言葉は言われるたびに胸がジーンとしました。

自分の家族以外にこれほどまで自分を思ってくれる家族がいることはとても幸せです。もちろん、私の家族もしーちゃんのことを娘のように思っていて、家族写真には毎回しーちゃんのポスターが映り込みます。

私達が出会ってから早10年。お互い26歳。今書いてて自分としーちゃんが25か26か一瞬わからなくなりました。これは本格的に歳ですね(客席 笑) お互いかなり大人になりました。

そして、私はもうすぐ卒業するのですが、まさかしーちゃんより自分のほうが先とは思わなかったです。しーちゃんがこんなに長くAKB48にいるとは思わなかったです。

それはすべてしーちゃんが頑張っているからです。私はしーちゃんのことを凄く尊敬しています。

それはまず後輩を可愛がってるところ。特に台湾出身の馬嘉伶の面倒をしっかりみているのを見た時に、自分って偽善者やなーって思うくらいしーちゃんは心から後輩のことを思っているし、ケアしてあげていると思います。

ほかにもプロレスでも後輩のことをしっかり見てるなーって思います。先輩として素晴らしいです。見習いたいなと思っているし、嫉妬しています、ハハ(客席 笑)

あとはファンの人たちのことを本当に愛おしいと思っているところ。これだけ長くAKBに身を置き、外の世界のこともきちんと知っているしーちゃん。だけれど、いつだってファンの方を置いてけぼりにせず、深い愛情で接していると思います。

しーちゃんのファンの人たちは幸せだと思います。とっても大切にされてますから。なので、今年の総選挙は私も応援するんで。

長々と書いてきましたが、10年の付き合いを経て、最近また、よりしーちゃんを近く感じています。

お互い別々のコミニティーで基本生きているので、まったく交わらない時間もありましたが、やはりしーちゃんは一番家族に近い人だと思っています。


卒業後もずっと応援してるから、しーちゃんも応援してくださいね。
26歳おめでとう。
人生は20代後半が一番楽しいらしいので、お互い楽しみましょう。


北原里英より


※ 2018年02月10日 AKB48劇場 チームA「M.T.に捧ぐ」公演にて
※ 4期・5期の地方出身者は、上京後同じマンションで共同生活をしていました。
※ その共同生活が終わった後も、北原さんと大家さんは約2年間ルームシェアをしていました。
※ そのルームシェア解消後も、しばらくは隣同士の部屋で住んでいました。
※ かなり早い時期から親同士の仲も旧友のごとく良く、家族ぐるみの交流をしています。








 
大家志津香さんが馬嘉伶さんに送ったお手紙全文
( 馬嘉伶 21歳の生誕祭 ) - 2018年02月14日


馬嘉伶へ


けっこう遅くなったけど、お誕生日おめでとう。

日本に来て2年経ったね。日本での暮らしはどうですか?

Twitterを見てる限りではメンバーとカフェに行ったり、オシャレなカフェを探して私服を載せたりと楽しそうにしていて良かったなーと思っています。

馬嘉伶と話すようになってから約1年くらいかな?

きっかけはSHOWROOMでした。
何気なく見たSHOWROOMで「日本に来て1年経った」と話す馬嘉伶が泣いていたからです。

異国の地に独りで来た馬嘉伶。1周年を迎えて、何も結果を残せていないし、台湾にいる他の研究生もあまり活動できていないし、正直1周年が嬉しくないと泣きながら語っているのを見て、胸が締め付けられました。

それを見た時に、無駄にAKBで歳を重ねた私が「この子のために何かできることはないものか」と考え、馬嘉伶に「日本に来て良かった」と思ってもらうことを目標にしようと決めました。

後輩と話すのがあんまり得意じゃないからどうやって近づいていいか戸惑ったけど、突然現れた長身年上ババアを受け入れてくれてありがとう。

ご飯食べたり、変な日本語を教えたり、中国語を教えてくれたり、一気に仲良くなったね。

馬嘉伶と過ごす時間は純粋で、心が洗われます。

シュートサインの時、小嶋さんの粋な計らいでみんなで出れたミュージックステーション。Mステの出演者は帰りにオリジナルデザインの箱ティッシュがもらえるけど、馬嘉伶はもらわなかったね。

「今日はバックダンサーみたいなものだから、本当に自分の力で出てからもらいたい」と言っているのを聞いて、ミラクル9の帰りでも貰って帰る自分のプライドの無さを恥じました。(客席 笑)

そして、この大所帯のAKBにおいて、その目標はかなり大変な道のりだろうなーと思いました。

でも先日発表された選抜の中に馬嘉伶の名前があって本当に嬉しかったし、本当に凄いって感動した。

そしてすぐにMステのティッシュもらえるやん!と思った。(客席 笑)

こんなに早く運営に見つけてもらえたのは馬嘉伶の魅力、そして努力があったからだと思います。

最近はメンバーと仲良く楽しそうにしているから、私は陰で見守ってて、話す機会は少し減ったけど、今の私は馬嘉伶がMステに出るのが楽しみです。きっと “あずき” のみんなもそうだと思うよ。

これからも “あずき” のみんなを笑顔にしてね。

こんな子を推せて “あずき” の皆さんは幸せですね。

そして “あずき” のみんなにお祝いしてもらえて馬嘉伶は幸せだね。

馬嘉伶にとってこれからの毎日も幸せでありますように。

素敵な1年にしてください。


大家志津香より


※ 2018年02月14日 AKB48劇場 チームB「ただいま恋愛中」公演にて
※ “あずき” とは、馬嘉伶さんのファンの通称








 
来日丸2年の挨拶(自筆手紙) - 2018年02月21日


本人 Twitter 投稿より



2月21日
今日はAKBに加入2周年です
あっという間、
幸せな2年でした

私は夢に進む道で
あずきは欠かせない存在なので
これからもずっと
あずきでいてください

#あずきへ #あずき大好き
#微笑みで3周年に向かいます













 
お披露目から丸3年の挨拶(自筆手紙) - 2018年12月15日


本人 Twitter 投稿より



皆さんは「どうせ無理」と言われたことありますか?
私はあります

この言葉のせいで、目標を見失ったことがあります
でも、この言葉のお陰で、私は強くなりました

お披露目してから今日で3年経ちました
最近の気持ち、、、長文ですが最後まで読んでくれたら嬉しいです





















 
来日3年目(2018年)振り返り - 2019年01月04日


本人 Twitter 投稿より



ちょっと遅くなりました
2018年の振り返りです❗️
去年の1年間、、、色々ありましたね
改めて、私にとって、あずきは本当に欠かせない存在だと思いました

この4ページは全部ではありません
残った内容は明日載せたいと思います
#2018年の振り返り #感謝がいっぱい












本人 Twitter 投稿より



昨日の #2018年の振り返り の続き

今年は8ページを書きました❗️
来年はもっともっと書けるように
2019年を充実の一年にしたいです

















                




































































































※ ご注意 ※


このページは【 大家志津香 勝手に応援サイト 】の中に作成されています。
公式サイトではありませんのでご注意ください。

このページは、2017年02月24日に大家志津香さんが SHOWROOM配信の中で口にしたことをキッカケに、当サイトの管理人が微力ながら作成したものです。その配信「AKB48の明日よろしく!」の中で、大家さんは『まちゃりんが日本に来て良かったと思えるようにしてあげるのが目標』と発言し、かなりの時間を割いて馬嘉伶さんについて語りました。






 
2017年02月24日、大家志津香さん SHOWROOM配信の概要


管理人がこのページを作成するに至った直接の原因となった配信。
以下は、その当該箇所の概要です。


この日のテーマは「4期」。
同期の話から始まる …


4期は「○期感」が全くない。
オーディションの時しか一緒に活動していない。
どういう扱いになるかも分からぬまま研究生として加入。

オーディション後に長期間放置されたまま、運営から全く音沙汰がなかったが、知らぬ間に在京組の同期がデビューしたり、さらには後輩がデビューしたりという有様。当時は極めて実験的で不透明な時代だった。


『まちゃりんが日本に来て良かったと思えるようにしてあげるのが目標』


「AKB48で自分ができること」という話題になり、その中での発言。

まちゃりんが日本を好きになってくれたら良いな。
自分が独りで海外に行ったらやはり辛いと思っちゃうと思うし、まちゃりんは特に控えめな女の子だから積極的に話しかけに行きにくいと思う。せっかく日本に来たのだから日本を好きになってもらいたい。だから自分から(まちゃりんに)グイグイ行ってみようと思う。それがひとつの目標です。

まちゃりんに沢山の日本語を教えようと思っていて、コンサート期間中に教えたのは「カエルの歌」。その場にいたメンバーを巻き込みながら、カエルの歌の輪唱を披露。めちゃくちゃ笑ってくれて、かなり面白がってくれた。「日本人なら誰でも歌えるんだよ」って言って、その場にいた話したこともないメンバーの肩をたたいて回って輪唱させた。実は後日、ネット配信番組「AKB48の 君、誰?」で「カエルの歌」を披露していた。

日本語上達するには人とのコミュニケーションが大切だから、友達を増やした方が良いと思う。
だから、まちゃりんを街に連れ出したいと思う。



コンサートの時のエピソード。

コンサート終盤で、まちゃりんのウチワを持っている人を発見。すぐには伝えられなかったので終演後本人に気づいたかどうか聞いてみたら、残念ながら気づかなかったとのこと。自分のウチワに気づけなかったことが本当にショックでずっと落ち込んでいたので、ファンの方々は是非ウチワをつくって応援してあげてください。めちゃくちゃ喜ぶと思うので。

大家推しもどうせチョロい奴らばかりだろ? どうせすぐ まちゃりんのこと好きになるんだから、(ウチワを)作っときなさい。大家推しはどんどん(他のメンバーの)ウチワ増えますからね。そんなとこも愛しいですよ。気が多いところが …


ということで、
大家さんのお墨付きが出たのでこのページを作ってみたわけです ....(=゜▽゜)ゞ≡☆
( 拡大解釈。笑 )


冗談はさておき …


大家志津香さんにとっては、今の馬嘉伶さんの姿は、過去の自身の体験と重ねてしまうところがあるのかもしれません。AKB484期生に対するオーディション以降の実験的すぎる有様と、台湾オーディション合格メンバーに関する一連の運営の動きは極めて酷似していて、いちファンですら心の痛む状況です。いままで多くの人達に助けられ救われて活動してこれた彼女だからこそ、自分も何かしなければという想いに駆られたのかもしれません。


この発言のキッカケのひとつになったであろう 馬嘉伶さんのSHOWROOM配信(2017年02月20日)の概要 は、上記を御参照ください。






















※ おまけ ※

【 大家志津香 勝手に応援サイト 】非公開アーカイブより 一部抜粋


【 比較参考雑学 】大家志津香さん 正規メンバー昇格までの道のり


 
【 2007年 】☆ 満15歳 ☆


2007年04月01日
祝・高等学校入学 !
2007年04月17日
AKB48 第一回研究生(4期生)オーディション受付開始。応募期間は、2007年04月17日~05月15日。大家志津香、人生初のオーディション申し込み。大家は両親に内緒で応募しており、そののち応募したことすら忘れてしまっていた。
2007年05月頃
知らない電話番号から携帯電話に電話がかかってくるようになる。
2007年05月19日
たびたび携帯電話にかかってきていた知らない電話になんとなく電話してみる。東京の市外局番(03)からの着信で心当たりが全く無かったのだが、この日なんとなくオーディションのことを思い出し、なんとなく電話をかけてみたとのこと。実はこの電話番号はオーディション事務局のもので、度重なる着信は、第一次審査(書類)合格を告げるものだったのだ。第一次審査を通過したものの、第二次審査は翌日の05月20日。両親にオーディション応募の話すらしていなかった大家は、すぐに両親に相談。あまりに急な展開に両親はあわてたが、兄の付き添いを条件に東京へ行くことを許可してくれた。ちなみに第一次審査の通過者は、応募総数約1万名のうち、約300名。
2007年05月20日
AKB48オーディション第一次審査合格を知った翌日の同日、急遽上京して「AKB48 第一回研究生(4期生)オーディション」第二次審査(面接)に挑み、無事合格。面接官の「合格したら劇場で何をしたいですか?」という質問に対して「漫才」と答えた。この第二次審査(面接)の合格者は、56名。
2007年05月27日
「AKB48 第一回研究生(4期生)オーディション」最終審査(第三次の歌唱審査/第四次のダンス審査)に挑み、めでたく合格。歌唱審査では、歌詞で自分の想いを伝えたいとの想いから「NO PLAN」の「○(マル)あげよう」を披露した。ただ、無事合格を果たしたものの、夢舞台への一歩は非常に遠い彼方にあった。すぐに舞台に立てるのかと夢膨らませたのも束の間、運営からの連絡は一向に無く、以降数か月の間、AKB48のホームページを眺めるだけの日々が続く。お披露目されたのは18名だが、藤江れいなの回顧によると当初は21名だった。この最終審査の合格者は、18名。
2007年09月
東京でのレッスンがスタート。正式なレッスンではないとのことで、安ホテルに宿泊してレッスンに通った。レッスン期間の終了とともに帰郷、のち、しばらく放置される。しかし、実家を離れ東京に通っていたこの時期は かなり楽しい時期だったと、後年語っている。
2007年10月
早くも後輩の5期生が加入。
2007年12月
5期生の一部が劇場デビュー。知らぬ間の後輩デビューに唖然とする。
2007年12月28日
祝16歳 。「がんばれ志津香、めざせチームA」とメッセージの入ったチョコケーキをプレゼントされる。そのAKBのロゴ入りオリジナルケーキは、父君が勇気を振り絞ってケーキ屋に依頼したものだった。当時は今のように、そこそこ形になった研究生のシステムすらロクにない時代。ましてや当時AKBの顔ともいうべきチームAのメンバーになるなど絶対不可能とも思われたが、後年2010年07月27日に大家は正式にチームAのメンバーとしての初日を迎え、父君の想いは現実のものとなる。ちなみにこの当時の大家、05月27日に見事 研究生オーディションに合格はしたものの、運営から上京についての連絡がないまま7ヶ月が経っていた。4期の自分にお呼びがかからずにいる一方、この頃すでに後輩がデビューしているという、かなり摩訶不思議でやりきれない状況であった。当時15歳の少女には過酷すぎる現実。そんななか迎えた16歳の誕生日。AKBのことを知らないながらも苦悩の娘を想う 父君のブキヨウまっすぐなエピソード。
2007年12月31日
AKB48が「第58回 NHK紅白歌合戦」(NHK)に、初出場。通称「アキバ枠」とも呼ばれ、中川翔子とリア・ディゾンとともに3組で1枠という扱いでの出場。AKB48が次に紅白歌合戦に出場するのは、年を経た2009年末となる。このころ大家は研究生オーディションに合格するも7ヶ月間連絡がないまま放置されているという状態であり、当然参加していない。



 
【 2008年 】☆ 満16歳 ☆


2008年02月
関東圏在住の同期が昇格し始める中、遅まきながら上京生活が始まる。本人なりに覚悟を決め実家を後にした訳だが、あくまでも自主的な上京という位置づけだったため、昇格出来たりする可能性にすら、カケラの保証もなかった。
2008年02月07日
恵比寿のマンションで、4期・5期の地方出身者による共同生活が始まる。いわゆる「地方組」の始まり。メンバーは、中西優香(卒業・元AKB48/元SKE48・4期)、大家志津香(4期)、北原里英(5期)、指原莉乃(現HKT48・5期)、冨田麻友(卒業・5期)の5名。およそ1か月半の共同生活ではあったが、現在そして将来に続く強固な絆が生まれた濃密な期間だった。
2008年02月
「地方組」の共同生活中、チームB「純情主義」バックダンサーの選考が行われる。しかし大家のみ選考外となってしまい、精神的にも厳しい状況に追い込まれる。共同生活の場に居ることができず、深夜の公園から実家にかけたその電話口で、心配する母がかけた言葉はこうだった。「人と比べたらいかん。結果は今じゃないって思わんといかんよ…。」
2008年03月01日
大家を除く「地方組」メンバーが劇場デビュー。
2008年03月07日
大家以外の地方組メンバー劇場デビューから一週間後、念願の劇場デビュー。B3rdパジャマドライブ公演曲「純情主義」のバックダンサーとしての劇場デビューであった。ちなみに「純情主義」はAKB加入後初めてレッスンした楽曲。 以後、昇格するまでの期間 A・K・Bと、全チームのアンダー(正規メンバーが出演できないときの代役)として公演を支えることとなる。
2008年03月ごろ
「地方組」の共同生活が終わりをつげ、北原里英と共同生活を始める。二人暮らしは2年間ほど続き、更にその後 互いに独り暮らしを始めるも、隣同士の部屋に住んでいた。この二人のエピソードはのちに各所で語られることとなるのだが、夜中に隣同士ベランダ越しで語り合った、などの青春真っ盛りエピソードも多い。
2008年05月05日
正規の公演に初出演。中西里菜のアンダーで、A4th「ただいま恋愛中」リバイバル公演に出演した。参加したユニットソングは「帰郷」。以後「A4th公演」と「帰郷」は、大家にとって並々ならぬ思い入れを抱く特別なものとなった。「帰郷」の歌詞は、まさに大家の故郷の情景と一致しており、父親や母親との関係やエピソード、心の動きまでもが完全に一致していると言っていい。もちろん偶然の一致なのだが、この曲のレッスン中に涙してしまったのも、無理からぬことと言えよう。4期生のオーディション合格から実に1年。劇場デビューまでの道のりは極めて険しく長いものだった。
2008年05月22日
初の「研究生公演」がスタート。48グループ史上「研究生公演」というシステムが開始された日でもある。この日の自己紹介では「田舎の平凡ハウスからただいま参上! 福岡県出身、大家志津香です」と挨拶した。演目は、後々まで一番思い入れの深い公演となる「ただいま恋愛中」公演。すでにチームAに昇格していた藤江れいな(4期)と4期・5期の研究生16名(計17名)で行われた。当時の研究生たちは「自分たちでチーム4になりたい」と夢を語り合った。
2008年07月30日
同居する北原里英が初代チームAに昇格。一方、大家に昇格の機会は訪れず、ひたすら自分を慕ってくれる北原と自身の差に悩まされてもいた。とはいえ、二人の仲は極めて良く、同居期間中ケンカをしたのはクリスマスの一度のみ。今思い返せば、ただの痴話ゲンカではあるが …
2008年08月02日
指原莉乃が初代チームBに昇格。
2008年08月13日
14回目となる研究生による「ただいま恋愛中」公演(夜公演)。この時点で1000回を超えていたAKBの公演史上、初めて「アンコールがかからなかった公演」とされている。出演メンバーは大家を含む4期・5期のメンバー。すでに昇格していたメンバーも参加していた。



 
【 2009年 】☆ 満17歳 ☆


2009年01月18日
同月、4期~7期研究生を対象に、セレクション審査が行われる。このいわゆるクビ切り審査で大家は強制卒業の対象になっていたのだが、居合わせた篠田麻里子が審査再考を進言し、小嶋陽菜もそれに同意したため、それが審査再考のキッカケとなったとされている。再考の過程は明らかにはされていないが、結果的には大家は研究生として残ることとなり、クビは免れた。
2009年08月23日
「AKB104選抜メンバー組閣祭り」最終公演にて、チームAへの昇格が発表される。ただし正式な昇格は、さらに一年近くを経た2010年07月27日となる。多くの同期や後輩の昇格を見送ってきた大家に、待ちに待った一筋の光が差し込んだ日。発表の瞬間、舞台上の大家はこぶしを突き上げ喜びを表現。メンバーのあたたかい祝福を受け、さらに号泣した。



 
【 2010年 】☆ 満18歳 ☆


2010年07月27日
新チーム体制による、チームA6th「目撃者」公演がスタート。正式に チームA(二代目チームA)に昇格となる。公演の参加ユニット曲はサボテンとゴールドラッシュ。公演初日を終え、自身のブログで、こうコメントした。「ほんとに teamAなんだと実感しました。自分の衣装がありました。自分のポジションがありました。自分のユニットがありました。幸せでした」と。かつて上京の間際に父親からケーキとともに贈られた「めざせチームA」の言葉は、図らずもここに実現された。上京当時 本人でさえ意識していなかったチームA昇格は、2007年05月に研究生となってから実に3年2か月(1157日)を経てのこと。劇場デビューからは2年4か月(872日)の歳月が流れており、このオーディション合格日から起算した研究生在籍期間3年2か月(1157日)という大家の記録は、AKB48では研究生在籍期間の最長記録となっている。ちなみに 48グループ全体では、SKE48で当時「終身名誉研究生」であった松村香織が 2013年01年02日に大家の記録を抜き、その後引き続き最長記録を更新した。(松村香織は 2015年03月21日に正式にチームに昇格)
2010年12月28日
祝19歳。そして、AKBに加入してから3年半にして初めての「生誕祭」が行われた。(多田愛佳と合同) 大家が研究生であった当時、研究生に対して公演で定番の生誕祭が行われることは無かったため、いつクビになるかわからぬ綱渡りを続けてきた大家にとっては、昇格を実感できた貴重なイベントとなった。父君からの「がんばれ志津香、めざせチームA」のチョコケーキからちょうど3年。3年前には完全に不可能と思われたチームA昇格を成し遂げた大家。奇しくもサプライズの手紙は父君からであった(指原が依頼)。 ユーモアを交えた感動の手紙に大家は号泣。生誕祭を仕切った指原も貰い泣きした。






まちゃりん/馬嘉伶(from 台湾)勝手に応援ページ

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